ピースサインをしているわけではないんです…

■平凡でも食べることが好き

はじめまして。

福岡市姪の浜にある、ゆるベジらく膳教室「ベジ楽」の林佳代子です。

小学校、中学校、高校とごくフツウに過ごして、大学へ進学。大学では政治や経済を専攻。

絵にかいたような平凡さです。

しかし、学生時代に2つだけ熱心だったことがあります。

それは、身体を動かすこと食べること。

実は高校時代、原因不明ですが体調を崩し、体重がみるみる落ちてがりがり状態。貧血にも苦しんでいました。

階段をちょっとのぼれば息が切れてゼーハーゼーハー苦しみ、保健室で過ごすことも多くなりました。

点滴やら何やら、病院でお世話になることもありました。

だから、大学の4年間で「健康になる」とかなり意識して過ごしていました。

もともと身体を動かすことは苦手ではなかったのもあり、バドミントンをはじめスキーや諸々に熱心だったと思います。

最終的にはフルマラソンを完走できたのも、よい思い出です。スポーツに関しては、今もなんだかんだと続いています。

そして食べることも、当時から熱心でした。

体調が上向きになってからは学習塾やケーキ屋でバイトをしては、友人とせっせと「美味しいお店開拓」をしていました。

女子大生らしく、ケーキバイキングに行くこともありましたが、野菜料理や寿司などといった「渋い選択」も楽しみました。

ここで、わたしの「食べるは楽しい!」というスイッチが入ったのかもしれません。

■文字好きが高じて編集者に

もうひとつ、わたしがずっと好きだったものが「文字」です。

これは、ほぼ中毒といってもいいくらい。

文字が好き。言葉が好き、文章が好き、本も雑誌も好き。おそらく物心ついたときから好きです。

卒業後は、文字好きや言葉好きが高じて出版社に就職。

当時は就職超氷河期と呼ばれていた時代で(年齢がばれますが)、今もって出版社に就職できたことが不思議ですが、なにか縁があったのでしょう。

最初に配属されたのは、主婦向けの雑誌の編集部。

そこで、雑誌のノウハウを学びつつ、郷土料理を担当しました。

全国各地へ赴いては農家のお母さんたちに郷土料理を作ってもらい、撮影(プロのカメラマンさんですよ、もちろん)。

本文こそ、プロの書き手に依頼していましたが、彼が取材しやすいように準備を整えたり、取材慣れしていないお母さんたちと親しくなって話しやすい雰囲気をつくったりするのが、わたしの仕事でした。

そして、最大の難関だったのが、お母さんたちが作る郷土料理をすべてレシピとして書き出すこと。これは本文ではなかったこともあり、わたしの担当でした。

プロセスのひとつひとつを写真にして、実際に読者が作れるように掲載することを求められました。

料理をする方はイメージできると思うのですが、家庭料理はいちいち軽量して作りません。

「目計り・手計り」という言葉が示すように、作り慣れている人ほど調味料を感覚で入れます。

しかし、レシピにするには「大さじ2」や「1カップ」といった数値が必要です。

当時、いろいろと数字を出す工夫をして撮影に臨んでいましたが、最終的に頼りになるのは自分の目、舌、皮膚感覚、そして記憶力。

終電を逃して始発で帰宅し、シャワーを浴びて仮眠をとって(場合によっては着替えるだけで)またオフィスに戻って。こんなハードなことができたのも、おそらく若かったから? …今は無理だなぁ。

ただ、どんなにハードでも「食べる」ということは本当に面白かったです。

食にまつわる話を聞くのも、面白かったです。

料理が本格的に面白くなったのも、この頃です。

調理学校へ通い始めて、もっと美味しいものを、もっと楽しく食べたい、という欲も出てきました。

当時、全国各地を巡って、ベテラン主婦の皆さんにガンガン鍛えられたことで、「レシピにはない調理のコツ」を身に着けたことも、今のわたしの財産になっています。

また、食には地域性がとても強く反映されるということを実感できたのも、強味になりました。

余談ですが、わたしがまだ訪れたことのない都道府県は、愛媛県と三重県のみ。

三重県は通過してはいるので、ちゃんと訪れたことがないだけで、とりあえずは行ったことがあるといえるかもしれません。

(5年以内に全国踏破をひそかに狙っています)

また、同じ雑誌で「料理研究家」と呼ばれる先生方にお世話になったのも、わたしにとっては貴重な経験になりました。

同じ料理でも、それぞれの先生によってまったく異なる味わいになります。

それは個性だったり、先生方がそれぞれ大切にするポイントの違いによるものですが、それが味にどう反映されるのかを知ったのも大きかったです。

その後、子供向けの雑誌の担当へ。

ここではそれまでのノウハウを生かして、食を中心としたページを担当しました。

食育」というジャンルに触れるようになったのも、このころです。

また、アレルギーに悩むお子さんが多いことも知りました。

都内の公立小学校の栄養教諭の先生のもとに通って、いろいろと教えていただいたのもこの頃です。

当時は料理以外にも、夏休みの自由研究や工作、世界の偉人や名作といったこともやっていたので、おかしな雑学王のようにもなりました。

今、それらをすべて覚えているかといえば、自信がありませんけれど、児童文学は比較的強いかもしれません。

■家庭菜園の専門誌で野菜に目覚める

その後、ふたたび異動して家庭菜園の専門誌へ。

ここで、わたしの野菜好きはさらに拍車がかかります。

まだ夜明け前に電車に乗って、千葉県某所の農家さんのもとへ足繁く通い、畑作業をしながら撮影と取材を繰り返しました。

ときには三浦半島の先端まで眠い目をこすりながら出向いたことも。

でも、朝日を浴びてキラキラ光る野菜は本当に美しかったです。

ため息がでるほど、みずみずしくて繊細な色合いで。これが自然の魅力なんだろうなぁ、とインドア派なのにとても感動したのを覚えています。

お恥ずかしい話ですが、新人のころは畑も田んぼも、畝も鍬も知らず、益虫も害虫もチンプンカンプン。野菜と雑草の区別もつきませんでした。

それが、苗を見て野菜がわかり、土をいじるようになり…。変われば、変わるものです。

野菜を生産する農家さんを心底尊敬しました。

と、同時に自分には野菜を育てることを職業にはできないとも悟りました。ならば食べよう、と考えたわけです。

「食べる」と「野菜」に、どんどんのめりこみました。

なにしろ、食べるって幸せですから。

口福」といってもいいくらい、美味しいものを食べることは、わたしにとって喜びです。

そして野菜

野菜は色、形、味…どれをとっても個性的。季節によって同じ野菜でも変化があることがおもしろく、飽きることがありません。

■そして、薬膳で発見!

家庭菜園の雑誌を担当していた際に、薬膳ページも担当しました。

当時は、「薬膳って苦いんだよね」とやる気は低空飛行、テンションはかなり低めのダメダメ担当者でした。

それが、おもしろく感じるようになったのですから、人間はわかりません。

そのあたりの詳しいことは「ゆるベジらく膳とは」をご覧ください。

さて、その後、ライターとして独立しましたが、ライターとしても「食べる」や「野菜」から大きく離れることはありませんでした。

ちなみに、ライター業は今も続けています。

こちらでも、いずれ記事などをご紹介したいと思っています。

■独立とアレルギー

独立後、わたしは娘を授かりました。

娘が生後半年ほどで判明したのが、卵と乳のアレルギーです。

血液検査でアレルギーが判明した後、親子で卵と乳製品をやめました。

最初は卵と乳製品だけでなく、生の果物も野菜も食べられなかったうえに、添加物にも弱く、限りある食べられる食材をいろいろと工夫するクセがつきました。

あらゆるものを手作りするようになったのも、この頃からです。ハムやソーセージも。

幼稚園入園後は、給食のメニューを見ながら見た目が同じものを除去食で作り続けました。

なんだかんだと3年半続いたお弁当生活は、娘にとってもですが、わたし自身にもよい思い出です。

その娘も小学生になり、気がつけば食べられるものがだいぶ増えました。

除去食対応ではありますが、クラスメイトと同じ給食を食べられるようになっています。

そして、いろいろと工夫したせいなのか、生まれつきなのかはわかりませんが、娘もまたかなりの野菜マニアです。

蒸し野菜を何よりのごちそうだとムシャムシャ食べます。

この卵・乳製品を使わずに作る料理は、今もわたしのベースになっています。我が家の冷蔵庫には卵と乳製品はほとんどありません。

そのため、「ベジ楽」では、卵と乳製品を極力使わずに料理をしています。

アレルギーがある方の場合、まったく使わずに作ることもできます。お気軽にご相談ください。

■いよいよ「ゆるベジらく膳」へ

このようなわたし自身の体験と学んだ薬膳、そして野菜好きが高じて、生まれたのが「ゆるベジらく膳」です

作るなら、楽しく。食べるなら簡単に、楽に。なにより、美味しく!

ゆるベジらく膳なら、それができます。

しかも、新鮮な野菜がもつパワーで、肌の調子もよく、腸スッキリ美人を目指せます

ベジ楽の料理はワンプレートです。

1枚のお皿をキャンバスに見立てて、自由に絵を描いていただきます。

ご自身を美しく変える作品をご一緒に作りましょう。

皆さんとご一緒できることを楽しみにしております。

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